昨日(5/17)のdocomoに続いて今日、KDDIも2011年夏モデルの発表を行って、Androidを初めとするスマートフォンへの転換を打ち出した。SoftBankは震災の影響で大規模な発表を行わないものの、今後2〜3年で(ほぼ?)全ての機種をスマートフォンへ以降する意向を表明していて、いよいよスマートフォンへの移行が本格化してきた格好だ。
各社とも様子見な感じが強かったこれまでと違って今回の各社の発表で印象的だったのは、既存のケータイ(ガラケーってやつ)のサービスをスマートフォンにも持ち込もうというもので、これはとくにドコモが強く方針を打ち出している。SPモードはもちろん、iチャネル、メロディコールなど、既存のサービスを順次Android端末でも利用可能にする方針なんだけど、果たしてスマートフォンとケータイの文化というのはそんなに簡単に相容れるものだろうかと考えてしまう。もちろん、技術的には十分に可能なものではあるのだろうし、だからこそそうしているのだろうけど。
というのも、ケータイ=iモード系サービスというのは、その始まりが1999年2月、10年以上前。このタイミングというのは、1998年8月に初代のiMacが発売され、1998年の9月にGoogleが創業された直後。つまり、今日的なインターネットの姿というのはほとんどなかった時期で、これはWeb 2.0という言葉が2005年前後からいわれてきたことからも分かる。つまりこの時期の情報の流通の形というものは依然として発信者ー消費者というモデルにもとづいていて、つまりこれはiメニューのディレクトリ型の構成に特徴的に見る事ができる。テレビや雑誌のマスメディアに近い形で、つまり情報の提供者、もしくは消費者に売りたい情報が先にあって、消費者はそれをお金を払って、受信するという形だ。iモードもEZ WebもY!ケータイも、基本的にはこのパラダイムの上に構築されてきたサービス。ここではユーザがすることといえば「情報の受信」なので、精々ブラウザがあれば十分だ。
一方で今日のスマートフォン、iPhoneやAndroidに代表されるものはそれらとは全く違うパラダイムの元に出てきている。そこでは情報の発信者ー受信者というモデルは崩れるかあるいは極端に弱くなって、ユーザは情報の発信者でもあり、クリエータでもある。ユーザはCGMやSNSといった世界観の上で積極的に情報の発信を行い、少なくとも黙って情報サイトにお金を払って受信するだけ、という存在ではなくなった時代の産物だ。ここではユーザはたんなる消費者ではないので、情報をブラウズするだけでなく、加工し、発信する。iPhoneやAndroidというのは、このパラダイムを強く反映したものだ。
「アプリ」というのはケータイにもあるけど、基本的には「情報サイト」のいちコンテンツという位置づけだ。一方でスマートフォンにおけるアプリはタスク指向。つまりユーザがインターネットの世界でできることと密接に結びついている。インターネットの世界におけるアビリティがすなわちアプリになる。新しいアプリをスマートフォンにインストールすれば、そのユーザはたちまちネットの世界で新しい能力を手に入れることができるのだ。
結局のところ、情報の発信ー受信というパラダイムのもとでうまれたケータイのサービスとスマートフォンでのサービスの間にはそのような技術的な側面では語りきれない壁が存在するのではないか。もちろん、ユーザ全員が積極的な情報の発信者ではありえないので既存の「ケータイ系サービス」がスマートフォンでも利用できるようになることに何ら問題はないわけなんだけど、「スマートフォンとは、App StoreやAndroid Marketからユーザが自由にアプリをインストールできて〜」という表面的な理解だけでは超えられない壁というのが存在するのではないのかと思うし、スマートフォンのサービスを作っていく上でもこの違いというのは意識しないといけないんじゃあないのかな、、
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